2011年10月29日土曜日

涙の代わりに 叫ぶ

まずは引用。昨日の日経のTPPの記事から ---------

―  どういう感情がどこに存在するのか、ということを、表に出す。言い換えれば、エモーションの存在自体から逃げない。
―  そのうえで、感情論に流されることなく、論理に基づいた議論に従った方が、国・社会全体としては「得」であること。一部の「損」になる層に対する手当てをきちんと行うこと。これらをはっきりと語っていく。
最初から論理だけで議論をするよりも、まずエモーショナルに何が引っかかっているのかを明らかにすることから始める方が、建設的な議論になるのだ。
感情面の感覚の違いも含めて、俎上に載せ、そのうえで、違いは違いとして議論していく。物事をあいまいにせず、かつ先送りもしない、という我々の社会がどちらかと言えば苦手とすることを、きちんと成し遂げ、将来に憂いを残さないためには、どうしても必要なプロセスだろう。
---- 引用終わり

昨日のWS最終日 それまで順調に行っていた「ガラスの動物園」の稽古だったが
私がMMをやっていて普段から感じている不安
「自分が気づいていない固定された動き(演技)に捕らわれていないか?」をついぽろっと発言したことから、急遽レピティションをすることになった

後で考えればレピティションをすることで私が出した疑問に何らかの糸口が見つかるかもしれないと私の大好きなコーチは考えてくれたのだろうが
目的も意図もその時点では はっきりと私には伝わっていなくて いろんなやり方や判断基準のあるレピティションをその段階で突然に使うのは私には逆効果だった

結果 完全に混乱した

「私は混乱している せめて目的をはっきりさせてからじゃないと これは私には有効じゃない」
ということを伝えようと精一杯努力したのだが
話せば話すほど 周囲からは私を憐れむような「大丈夫だよ。安心して。落ち着いて」と言うような視線が強くなるばかりで レピティションをやっている最中と同じように 私の言葉が誰にも伝わらないという恐怖が増大するばかりだった
ましてや昨日は生理2日目で感情が普段の何倍も増幅し不安定な夜

こうなるともう演技どころじゃない 解離しちゃうょ 危険 避難

なんと言われようと 私自身の感受性は私以外に守れる人はいないわけで
たとえ他の万人に有効な手段であろうと それが近道であろうと
私はそれをやるわけにはいかなくて
これは完全に私の個人的な理由なので
相手を否定せずにこのことを理解してもらうのは至難で
たとえそれでも 私は信頼している相手にはできる限り状況を伝えたいと思った

レピティションをすることと同じぐらい 役者や演出家がどう考えているのかを
そこに起こっている感情を無視しないで語り合うことはとても大事なことだと思うのだが
稽古の場に限らず 多くの日本人はそこにマイナスの感情があることを踏まえて議論するのが苦手

そして私は「理屈っぽい」というレッテルを貼られて敬遠される
だめだな まだ混乱している

最後に別の日経の記事からの引用---------------

伝えたいことがいっぱいあって言葉にならない時、代わりに涙が出る。
自分の中の伝えきれない何かを声に出して叫ぶ 涙の代わりに

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